on the Line

高校中退→ニート→フリーター→→→会社員。現在33才のぼく。なんとか普通に生きてます。なかなか普通の生活ができず苦しんだ過去を振り返りながら、同じような境遇の人のヒントになればと思いはじめました。

自意識のかたまりだったぼくが変われたオリジナルな方法

自意識の塊だったぼく

ぼくは思春期をこじらせ、20才を過ぎてなお、自意識の塊でした。自分は人より優れた人間だと思っていましたし、そんな態度をとり、世界の中心にいるかのように振る舞っていました。今思うと高校を中退していることや、ちゃんと就職していないこと、うまく他人とコミュニケーションがとれないことにコンプレックスを持っていたのでしょう。そんな劣等感すら直視することができず、自分を大きく見せたり、カッコつけたりしていました。そんな自分が変わるきっかけになったのが「ナンパ」でした。

コミュニケーション能力に自身がなかったぼくは、当然モテるわけもなく、女の子の前では、すぐ緊張していました。しかし、そこは荒ぶる20才の男です、周りの遊び仲間の影響でナンパに挑戦したのです。コミュニケーション能力に自身のないヤツが、ナンパなんてできるのか?そう思われるでしょうが、自意識の強すぎたぼくは、「女の子に声もかけれないヤツ」と友達に思われたくなかったのです。

ズタズタになった心

そして毎週、夜の商店街で、道行く女の子に声をかけます。当然ほとんどの女の子には無視されます。いや、無視ならまだいいのです。たまに「えっ…なに?」とか反応されると、もう大変です。なにしろこっちはナンパ素人、なんと言っていいかわからず、しどろもどろ。そのうち相手に、「なに?キモいんだけど」と言われ、さらに他の子はこちらに見向きもせず、小声で「○ね!」といって足早に立ち去る始末。もう涙目です。ぼくのプライドはズタズタになってしまいました。
それでも数撃ちゃ当たるで毎週続けました。夜も12時をまわると人通りもまばらになり、こっちも切羽詰まってきます。道行く女の子すべてに声をかけ、少しでも振り向いてもらおうと、ボケたおしていました。すると、まれにですが、楽しくお話してくれたり、メルアドを教えてくれたり、そのまま飲みに行ったりすることが増えてきたのです。

必死になると見える「ありのままの姿」

この時期は1年間で、何千人にもの女の子に無視され、罵倒されました。毎週傷つき、悔しがり、正直泣いていました。自意識の塊のぼくでも、さすがに気づきます。
――自分は世界の中心じゃないんだ――
はじめて自分のくだらなさを直視した瞬間でした。これは相当キツかった。
しかし、同時に気づいたのです。
――バカな姿や、情けない姿をさらしても、ほんのわずかだが、受け入れてくれる子はいる――

自分のありのままを出すことができれば、声をかけた2%くらいの女の子はそれなりに相手をしてくれます。
ぼくの友人の、超イケメンで話がうまいヤツでも、ナンパでは8割の女の子に無視されます。
こんなぼくでも2%って、そこそこ世界も捨てたもんじゃないんじゃないだろうか。
ぼくはありのままをさらけ出すことの恐怖を振り払うことができたのです。

思春期についた心のクセはなかなかしぶとくて、33才になった今でも、気がつけば自分を大きく見せようとしていることがあります。
そんな時は、あの頃ぼくに笑顔を向けてくれた2%の女の子のことを思い出すのです。

知る楽しさと「本の雑食」

本当に頭がいいとはどういうコトなのか…。わからなくなったぼくは、ひとまず色々なコトを知ろうと、様々な本を読むことにしました。とりあえず本屋のランキング棚にあった、シンプルなデザインの新書を手にとりました。

そして、この本との出会いが、その後のぼくの人生を方向付けるコトになったのです。その本の名は、「理性の限界」。普通の大学生や、思想家、学者など、様々な分野の登場人物がシンポジウムで一同に会した、という設定で話は進みます。哲学や政治学、ゲーム理論、数学、物理学、量子力学など、分野を越えて、果てしない議論が交わされます。
一冊の本でこんなに好奇心を刺激されるだなんて思いもよりませんでした。

科学や数学の少し難しい話もありますが、自己啓発書を読みあさっていたので、文字には慣れていました。なんとか一晩かけて読み終えた朝、ぼくには世界がいままでとはちがって見えました。こんなに科学や哲学がおもしろいとしっていたら、ぼくは高校を中退することはなかったでしょう。それからというもの、バイト地獄のわずかなスキマ時間を利用して、ぼくは量子力学の本や、社会学の本を読みあさったのです。

確信はしない。あくまで「仮説」

今思えば、この「本の雑食」はぼくに強い力を与えた経験だと思います。
例えば社会学の本は、社会の事象に大して、もっともらしい理由や説明をつける、つまりストーリーを作っているんだと思います。そんな本だけ読んでいたら、ぼくのことだから、ものごとに対して受け売りの知識や、ひとりよがりな分析をし、失敗したことには、もっともらしい言い訳をするような人生を過ごしていたと思います。
しかし、そこに科学や数学の見方が加わることによって、、自分の考えたストーリーや、モノの見方を、少し離れた視点から、あくまで「仮説」と捉えることができるようになってきたのです。
ぼくの文章力では、うまく伝えられないのですが、「本の雑食」を続けることによって、自意識の牢獄に、少しだけ光が射して、外の風を感じられるようになったという感じでしょうか。
自意識については、また次回にします。

頭がいいってどういうことだろう

前回の続きです。

ぼくたちが慕っていたスケボー仲間のリーダーがマルチにハマってしまったことはとても悲しい出来事でした。本人は良かれと思って勧めてくるのがまたイタいんです。
そして口から飛び出す自己啓発ワードの数々。ぼくは自分が急速に冷めてゆくのを感じました。自己啓発に嫌気がさしてしまったのです。

やっぱり基礎体力が大事

連休が終わり、普段の生活に戻ったぼくは、バイト地獄から抜け出すために、何をしたらいいかわからなくなっていました。そして考え、結論を出しました。
――ぼくみたいな、なんの能力も持たない人間がいきなり成功者のマネなんかしても仕方がない――
部活動なんかに例えると、やっぱり初めは運動神経や、筋力、体力に優れた人の方が上達が早いです。ぼくは何も鍛えられていない状態で試合に出ようとしていたのです。活躍できるはずはありません。頭の筋力を鍛える必要がありました。

頭の筋力とはなんでしょう。幸いぼくの職場には、仕事を効率よくこなしたり、機転のきいた発言をする、頭のいい先輩がいました。(この人もアルバイトで、夜勤の責任者でした。)その先輩を観察してみることにしました。

頭のいいひとの落とし穴

しばらく観察していると意外な発見がありました。その先輩はいつも思い通りにいかず、イライラしていたのです。
例えば、仕事のできない人の代わりに自分がそれをこなさなくなった時、その人を罵倒しながら二人分の仕事をします。
――こんなに頭のいい人でも、部下にうまく仕事をさせるのは難しいんだ――
そう思うと同時に、ひとつの疑問が浮かんできたのです。
もし、罵倒されている人が心のなかで「こんなアルバイトに真剣になる必要ないよ。適当に誤っておけば、後はやってくれるさ」と考えていたとします。
この場合、どちらの目的通りに事が運んでいるか、つまり、どちらが頭がいいと言えるのだろうか。
そう、頭の回転が早くても、真に頭がいいとは言えないのです。

読書とマルチとキラキラフレーズ1

26才にして読書の力を知ったぼくは、日曜日のたびに本屋でたくさんの本を買いました。バイト地獄から抜けるために、お金の稼ぎ方や、いわゆる自己啓発書のたぐいがほとんどです。ぼくは地獄の16時間労働のスキマ時間に、ひたすら成功者のノウハウを吸収しようと必死でした。
――この生活を続ければ、ぼくには成功が待っている――
そんな希望を抱いていたのです。

……しかし、そんなにうまくは行きません。
一番の問題は「本に書いてあるとおりに行動できない」ことでした。
どの自己啓発書も、なるほど立派なことが書かれており、説得力があります。しかし、ぼくには自分をコントロールする能力が絶望的に欠けていたのでした。例えば「お金持ちがしている〇〇のこと」みたいな本の最初の項目に、お金持ちはタバコを吸わない、と書かれているのを読めば、禁煙に挑戦し、1日で挫折し、自己嫌悪におちいる。

そんなことを繰り返していました。

そんな不毛とも思える日々を過ごしていた頃、またもや事件は起こったのです。

悲しい事件

それは連休で地元に帰省していたある日、久々に各地から集った仲間とスケボーをして遊ぶことに…。
地元のスケボー仲間は年も10代から30代とバラバラで、色んなイベントで共に汗を流した気のおけない仲間たちです。
その日もひとしきり盛り上がって、みんなで談笑していた時、頼れるリーダー的存在の人がこう言ったのです。
「いい話がある」
行動力のあるリーダーのことだから、また新しいイベントでも思いついたのかと、みんな耳を傾けました。
しかし、その口から出た言葉は驚くものでした。
「携帯電話の自動充電スタンドを50万で買わないか」
そう言うとその充電スタンドの利便性やこれからの展望を語りだしたのです。
はじめは新しいビジネスでも始めたのかと思ったのですが、どうやらマルチ商法的なやつみたいです。もちろん皆ドン引きです。

議論は炎上してしまい、その時はリーダーが引き下がりましたが、せっかくの久々の集まりは後味の悪いものになってしまいました。

 

帰り道、ぼくは悲しくなりました。
リーダーも30才手前でバイトぐらし。何か行動したかったのでしょう。
そんなタイミングで純粋な彼は、キラキラした言葉でいっぱいのマルチ的な世界に取り込まれてしまったのでしょう。

そして彼が熱く語る言葉は「気づき」や「引き寄せ」など、ぼくの読んでいる自己啓発書に書かれているようなフレーズばかりでした。

続きます…。

ぬるま湯バイト地獄から抜け出すために

こんにちわCJです。
26才の時にインフルエンザにかかったことで、収入が減り、いつまでも肉体労働をしていられないと痛感しました。
このカイジのような、気楽だけど希望もない生活から抜け出す方法を日々、模索していました。
しかし、高校中退で、ずっとアルバイト暮らしだった僕を、正社員で受け入れてくれるところなんてありません。ひとまず、お金を貯めて、チャンスを待とうと思いました。

長時間労働を決意

ぼくはバイトの時間を朝の5時から夜10時の16時間労働にしてもらい、月曜から土曜まで出勤して稼ぐことにしました。(完全にブラックですが、短期間でお金を稼ぐには良いバイトでした。)
仕事内容は、まさにカイジの地下労働施設なみの重労働ですが、残業代はしっかり出るので、時給900円でも1ヶ月で35万円くらい稼げました。。

フラフラになりながらも、なんとかバイトを続けていたある日、ぼくと同じ条件で働いていた、32才の先輩が腰を痛めて、長期休養することになりました。
そこでぼくは再び強い危機感に襲われました。
――いくら稼いでいても、ぼくたちアルバイトは体を壊せば収入が途絶える――
すでにぼくの体も悲鳴をあげていました。

運命の出会い

いつ自分の体がダメになって働けなくなるかと、不安な思いで過ごしていたある休日、僕はテレビ画面に吸い寄せられました。
そこに映っていたのは、155センチの小さな体で、大男たちをバッタ、バッタと投げ倒す合気道塩田剛三でした。
そこでぼくはピンときたのです。
――こんな小さな男でもあんなに軽く人を投げ飛ばすことができる。ぼくもその技を身に付ければ、激しい肉体労働にも耐えれるのでは――
まさに運命の出会いでした。

しかしぼくに道場通いする時間はありません。そこで急いで本屋に行き、武術の理論の本を買い込み、夜中まで読みふけりました。そして覚えた動きをどんどん仕事に生かしていったのです。
はじめは職場の仲間からは「CJの動きキモいよね」と言われました。
そして1年、2年とたち、ぼくはガリガリの体で50キロもの重量物を軽々持ち上げれるようになり、体力が余っているので、他人の仕事も進んで手伝うようになりました。
仲間たちも認めてくれ、「鉄人」と呼ばれるようになり、ついにはアルバイトの責任者に任命されました。
万年下っ端のぼくにとっては、これでも大出世です。

「本の力」を知る

ぼくは「体の使い方」を覚えると共に、もう一つ大切なことをまなびました。
それは「本の力」です。

武術の本を呼んでいるときは、本当に夢中でしたし、結果だけでなく色々と考え、試した生活、それ自体がとても濃い時間でした。
この件でぼくが知った、本当に大事なことは、読書は楽しいし、役に立つというものでした。
ここからぼくの読書生活が始まります。

ぼくがブログを始めたわけ

はじめまして、CJと申します。これがブログ最初の記事になりますので、まずは自己紹介させてください。
ぼくは北関東在住の33才、独身、会社員です。
これから毎日、記事を更新してやろうと、意気込んでおります。

 

ぼくは高校を中退後、肉体労働のアルバイトで生計を立てていました。体力と根性だけはあったので、それなりに気楽な生活を楽しんでいたのです。
しかし、26才の時にインフルエンザにかかり、一週間も寝込んでしまったのです。当然アルバイトは欠勤し、お給料は入りません。その月の給料は9万円。家賃、光熱費などを差っ引けば、2万円しか残りません。
「こんな生活はいつまでも続けられない」と痛感したぼくは、肉体労働から逃れる道を模索しはじめるのでした。

 

いまはデスクワーク、というか、仕事はスタッフに任せて、特に何もしなくてもいい状態になっています。部下はみなパート・アルバイトで、ぼく自身もただの平社員ですが、この環境には満足しています。
ただ、高校中退で、就職をしたことのなかったぼくは、ここまで来るのにも、何度も失敗し、打ちのめされています。その道は相当に悩み、苦しみ、そして孤独でした。

 

ぼくがブログを始めたのは、同じ様な境遇で、希望を捨てずに頑張っている人たちを応援したかったからです。
ぼくか今まで考え試してきたことから、効果があったものや、失敗例を紹介していこうと思います。
といってもまだ何を書くか決まっていなくて、いろいろ寄り道してしまうとは思いますが、よろしければお付き合いください。